父が亡くなりました。
お通夜、告別式を終え、今日はやっと少し落ち着いた。
亡くなった日は夜中から熱が出ていたようで、朝5時半頃母親から電話があり、奥さんと一緒に急いで帰宅。
一回帰って仕事もお休みをもらい、母と一緒に父の最後を見送ることができました。
ちょうど往診の先生が自宅に来てくれていたタイミングで、最後まで母が焦らないように、このタイミングで息を引き取ったのかな、と思った。
最後は苦しまずに、ゆっくりと呼吸がなくなる形で、それだけは少し良かったな、と思った。
父の希望を聞き、治療ができなくなってからは、母が在宅でずっと父の面倒を見ていて、母さんにもお疲れ様、ありがとうと伝えた。
振り返ると、幼少期から父の背中を追っていたような気がする。
その広い背中と心で家族をここまで導いてくれたと思う。
不器用で優しい父は、自分の功績とか、これしたぞ、っていうのをアピールするのが嫌いな人で、分かってくれる人だけが、分かってくれたら良い、と自分の礎となる美学を教えてくれた。
もっと一緒に温泉行きたかったな
もっと一緒に飲みに行きたかった
もっとカラオケ連れてけば良かった
もっと実家帰ってれば良かった
もっとあの時、手伝ってあげたら良かった
弱音を吐かない父だから、こっちから手を差し伸べてあげなければならなかったのに、そうしてあげられなくてごめんね。
病気になって、ごめんなごめんなって言ってた父ちゃんを見て、本当にそう思った。
でも後悔ばっかりじゃなくて
あの時これしてあげられて良かった
ってこともたくさんある。
そんなことを考えて、少しだけホッとする。
喪主は母がつとめたけど、挨拶は不安だ、とのことで、長男である自分がさせてもらった。
お父さん、立派に挨拶できたと自分では思うんだけど、どうだったかな。
多分、『まぁ、良かったんちゃうか』と嬉しそうに素っ気なく言うのかな。
お通夜が終わり、告別式までの夜は、ほぼ徹夜でロウソクの火を灯し続けた。
自分が、父が守ってきた、この家の光を絶やさないように、そういう気持ちだった。
お通夜が終わり火を灯しながら、父の祭壇の前で、2人で飲んだ。
大泣きしてごめんね。
でも母ちゃんと姉ちゃんらがずっと泣くから、みんなの前では泣けなかったんだ。
妻も献身的に動いてくれて、この人と結婚して良かったな、と改めて思えた。
妻のご両親も心の限りを尽くしてくれたように思う。
父の兄弟2人も最後まで見送ってくれた。
複雑な家の事情があり、少し縁遠くなっていたけど、最期は会えて良かったね、と思った。
涙は枯れることがないけど
『お前まで泣くな。おれがもっと悲しくなるだろ。』
と父の声が聞こえてくる。
少しずつ、前を向けるように。
自分にも大切な人が出来たから。
父ちゃん、ありがとう。また飲もうな。多分50年後くらいかな。