言語化する

昨年、クレーム案件が大量に発生した、低調な仕事の波の中で

 

1つだけはっきりと気付けたことがある。

 

それは自分は納得出来ない事態や

 

もやもやする気持ちになった時に

 

はっきりと言語化することで

 

自分自身に落とし込めるということ。

 

例えば

 

このお客さんはなんでこんな理不尽なことでクレーム付けてくるのだろう

 

とか

 

このフィールドになぜ自分が溶け込めず、価値観が合わないのだろう

 

とか

 

そんなこと。

 

うやうやと悩んだりするけど

結局は自分の中で言語化することで

理由を見つけて差別化をして

それに対して適応した最適解をなんとか

見つけ出して

そんな相手とも上手くバランスを取る。

 

そうすることによって

自分にも理由が出来るし

相手にも理解を示せる。

 

ズレてた場合は都度微調整する。

 

上とか下とかじゃなくて

視座を合わせる。

 

言語化して落とし込むことによって

それを納得した状態で具現化する。

 

そんなことを考えながら過ごした一年だったなぁ、と。

 

あんまり嘘を付けない性格だからこそ

見え透いた嘘をつく事で

本来得なくても良い罪悪感を生む事なく

言語化による適応を見出せた。

 

本心なんて自分のものしか分からないから

自分なりに他者を理解していくしかない。

 

相手の立場になる、なんて言いつつ

相手の立場になるための思考の軸は自分で

それも少し矛盾だから

自分なりに考えた相手の立場への成り方。

 

うまく言えないけど、そんな気持ち。