サラリーマンとは

サラリーマンとして今年12年目になる。

 

1社目で6年

2社目で6年目

 

でもいまだにサラリーマンって難しいと思うことがたくさんある。

 

お客さんとの接し方にしろ、社内での立ち回りにしろ、正解なんか無いんだろうけど、

いつも最適解は考えていないといけない

 

その中で自分が

今の部署で

今の役職で

どうしていくことが最適解なのか。

すごく考える。

 

社長からは

困ったらすぐ連絡してきてね

と言われるけど

自分には自分の上司がいて

そこを飛ばして社長に話する

なんてことは考えにくいし

何より自分がトップに話すことで

トップの思考がブレてしまい

会社の軸がズレてしまう可能性だってある。

 

だからこそ自己処理出来る範囲で頑張り

たまに信頼している他部署の先輩に愚痴を言ったりして

何気なくやり過ごしていたが

心配しすぎた他部署の先輩が役員に相談し

役員が社長に相談し

変なムーブになることもある。

 

そして自分の評価が

過大評価なんじゃないかって

いつも思うわけだ。

 

嘘をつけば嫌われる

本音を言えば笑われる

 

という歌詞がとてもしっくりとくる。

 

不満や疲弊は社長にまで伝わっているようだが、

自分は気を使われたいわけじゃなくて、

 

腹をわってもっと話したい。

相手の考え方をもっと知りたい。

共鳴できるよう。

 

それだけなのだ。

 

 

めぐりめぐる

自分が幼かった頃は

気付きもしなかった

親の愛や気持ちを

親になってやっと理解出来たり

 

自分も親の子どもであり

娘が駄々こねることに対して

子ども時代の経験則から

そうだよなー、って思ったり

 

子どものいる親なら誰しも誰かの

子どもであり親でもあるわけで、

それは当たり前なんだけど、

なんだからそれってとても素敵なことなんじゃないか、と思う。

 

子どもがいなかったときには

外食も

家族旅行も

誕生日のお祝いも

クリスマスも

お年玉も

その全てが当たり前だと思って育ってきていたけど、

親になった今、そのどれもが、どのくらい親が頑張って稼いで、どのくらいの愛情をかけて、どのくらい大切にしてくれていたのか、というのがヒシヒシと理解出来る。

 

まるで自分が子どもが出来たことで、数十年越しに、答え合わせしているようだ。

答え合わせすることで、両親に対して冷たくあたってしまったり、軽めの思春期について、ごめんね、と思ったり。

 

娘から自分が親から受けた愛の大きさについて、答えを教えて貰っているようだと、そう思った。

 

そしてそれ以上の愛を自分の家族に注ぐのだ、と。

そしていつか、娘も答え合わせしてくれたら良いな。

親になって、パパとママの愛情が本当に理解できたよ、と言われるように。

でもそれはパパとママにも君が教えてくれた答えなんだよって、伝えたい。

 

愛は色んな矢印でめぐる。

めぐりめぐって

自分に帰ってくる。

そういうものなのだ。

 

少し先の未来のこと

少し先の未来を考える

 

母ちゃんがいつまで元気でいられるだろう、とか

 

娘がいつか結婚して、自分の家族を旅立っていくのだろうか、とか

 

孫ができて溺愛してしまうのだろうか、とか

 

そんなことを考えていると

とてもエモーショナルな気持ちになり

いまを大切にしなきゃな、って

とても思う。

 

母ちゃんが元気な間にたくさん会って

楽しい時間を過ごそう

娘が巣立っていくまで

パパとして出来る限りのことをしよう

妻がそばにいてくれる限り

好きを積み上げていこう、とか。

 

でも日常はそんなことなくて

仕事に追われていくし

疲れて、かまけているし

知らぬ間に時は経っているし。

 

振り返れば全力ではなかったシーンが多いこれまでだったけど

全力になれば、その後の下げ幅もすごいことは自分は分かってて

常に平常運転でいたいと思って進んできたこの道。

 

全く後悔などはないけど

母や妻や娘

そういう自分の人生そのものや生きがいに対して

今後後悔はしたくないなー、と

なんだか思った。

 

何をしててもきっと少しの後悔は生まれるのだろうけど、

父を亡くしたあの日から、

別れは来ると知ったし、

妻と結婚したあの日から、

ずっと大切にしなきゃと思ってるし、

娘が生まれたあの日から、

いつか旅立つのだとわかってる。

 

だからこそ

いまの自分が置かれている

自分で選択してきた

この目いっぱいの幸せを

目いっぱい感じて

目いっぱい愛して

目いっぱい返していきたいと

そう思うのだ。

 

君が愛してくれるほど

僕は愛してあげられているだろうか

君が僕にくれるほど

ぼくは君に何か返してあげられるだろうか

 

ビジネスじゃなく

トレードオフの関係じゃないからこそ

不安になり

寂しくなり

もっともっとって思ってしまう。

 

ずっとの定義はそれぞれだけど

永遠はない。

 

だからこそ

今を大切に。

せめて目いっぱい。

後悔ないように生きよう。

家族旅行

今年はコロナ自粛の波もひと段落したため、娘が生まれて初めて遠出の家族旅行を決行。

 

昨年予約していたが断念した沖縄3泊4日

神戸に1泊2日

リフレッシュ休暇でまるまる1週間、10連休の休みをもらい(途中WEB会議はしたが、、、)

家族旅行ができた。

 

爆発的にお金は掛かったけど

それ以上に妻も娘も楽しそうで

泊まった宿も両方ともハイクラスでストレスなく

この笑顔と特別な時間のために働いてるんだなあ、と

久しぶりの気持ちを得たりして

とても良い休暇になった。

 

アンパンマンミュージアム

甲子園での野球観戦も

美ら海水族館

名護パイナップルパークも

綺麗なビーチも

プライベートプールも

海ぶどう

ソーキそばも

タコライス

オーシャンビューのBBQも

 

どれも特別な時間になった。

水族館で買ったぬいぐるみを大切そうに抱いて寝る娘をみて、とても安心する。

 

今日からは休みを終えて仕事再開。

 

割り切れない部分もあるが

割り切れないものだと割り切って

理解し合えないことを理解して

大人のフリをして

やっていくしかないから

これこそ社会だよなぁ、と。

 

そして何歳まで

どの役職になるまで

年収がいくらになるまで

自己実現がどこまで進めば

こういうフラストレーションのようなものを抱えることなく、もしくは考えることなく、過ごせるようになるのか、今後の人生にとても興味があるけど、きっと自分はこのままなのだろう、とも思う。

そこも認めながら、弱さと向き合って補正していくしかないよなぁ。

 

不満もモチベーションに変えられる精神力を得ながら、また同じような素敵な家族時間、経験が得られるよう、日常も楽しもう。

 

俯瞰して見れば人生上々。

このまま進もう。

下り坂

ここのところ、弊社システムの不具合が相次いでおり、謝罪に追われている。

というか、追いかけられている。

 

謝ってばかりいると、やっぱり気分は下がるし、お客さんのためにしていたと思っていた仕事が、実はそうではなかったのか、と自信を失ったり、自分のせいではないのだけれど、担当営業として、少し不安になったりして。

 

新しい会社の体制は縦割りになり、事務員さんも排除していて、とても合理的だ。

会社としてはそれがとても立派なことだし、正しいのだと思うけど、

人と同じように、お客さんにもそれぞれの色があって、そこに合わせて寄り添える形で何とかやっていきたいのだけど、合理主義の中に個性への猶予はなく、その点もすごく難しい。

 

ビジネスライクになりすぎると、バイネームで対応していくことが難しい。

そしてバイネームで寄り添うことをやめると、割り切らなければいけない要素が増える。もちろんお客さんに対してNOと言う機会も増える。

 

とても難しいが、答えのない問題。

 

あぁ、今日という日は何て良い日なんだろう。

大切な家族がいるだけで

仕事があるだけで

十分な給与をもらえているだけで

健康に生きているだけで。

 

とにかくそう思いながら、自分の哲学はぶれないように、やっていくしかないのだ。

 

流行り病

ついに初コロナになりました。

 

日常生活を普通に過ごしているので、

 

どこでどうもらった、とかはもはや分からない。

 

症状はそこまで深刻ではなく

 

日曜日 夜から軽い倦怠感

月曜日 強めの倦怠感、気管支炎ぽい感じ、朝は微熱→夜38.5くらいの熱。受診し陽性。

火曜日 気管支の違和感、夜38度くらいの熱、夜中汗びしょで起きる。着替える。

本日 声が枯れてるくらい

 

という感じである。

月曜日に病院行った以外は在宅に切り替え仕事も出来ている。アポイントのリスケがとても手間だったが、、、

 

1番の困りごとは妻と娘に会えないことである。人生の目的に会えないので、とても寂しい。

日曜日まで一緒に普通に暮らしてたけど、まだ症状でてないってことで、とりあえず実家に帰ってもらった。

今日も普通に元気みたいなので、おそらくうつってないのかな、と思う。

まぁ2人は先に罹患歴があるからかもしれない。

 

妻がご飯持ってきてくれたり、母ちゃんが買い出ししてくれたりと、何かとありがたみも感じる。

 

改めて健康であることの大切さを感じるわけだが、こればっかりは避けようがない。

これまで罹ってなかったのもほぼ奇跡に近いと思うし。

 

ひとまずはひきこもり。

 

同窓会とは

自分は同窓会という存在があまり得意ではなく

 

これまで誘われても避けてきてたのだけど

 

ちょっと前に街中ですれ違い連絡先を交換していた中学の同級生が

何回か誘ってくれてたので、10年以上ぶりに参加してきた。

 

はじまるまでは大型商談のプレゼンより緊張してて、店の前でも5分ほどトンズラするか悩んだけど、いざ輪に入るとなんだかんだで、みんな大人になり、優しくしてくれて、悪い気は全然せず、むしろ楽しかった。

 

仕事何してるとか

年収がどうだとか

結婚はとか

こどもはとか

家買ったかとか

 

自分があまり好きじゃないマウンティング的な

そういう話題を不得手にしていそうな人たちばかりだったからかもしれないけど(ちょい失礼かな)

 

しょうもないことで笑えたり

引き出しの奥底にあった昔の記憶だったり

 

なんだかんだ自分が避けてた同窓会という場所だからこそ、忘れていた記憶のような何かが引っ張り出せた気がする

 

昔の自分ってどうだったっけ?

じゃなくて

今の自分で勝負する!

という自信がある程度、この良いことばかりだったとは言えないけど自分なりに満足させながら選んできた人生の中で付いてきたからなのかもしれないなー、とも思う。

 

今回久しぶりに会った同級生たちが、自分の人生において重要な役割を果たすわけではないのだけれど、行動することで新しい発見はあるわなー、と改めて思った出来事だったので記しておこう。

 

人生はバランス、というのは変わらないけど、

たまには自分のバランスを崩すのも大事かな。

友に感謝。